「アッシーくん」「メッシーくん」「ミツグくん」がいた時代

まさにバブル期、日本はとても景気が良く、その好景気に酔いしれていた頃の話だが、「アッシーくん」「メッシーくん」「ミツグくん」なる存在がいた。今の若い人たちは、これらの言葉も、その存在の意味も、知らないのではないだろうか?
これらをまとめて「キープくん」と呼ぶことがあり、この言葉だけは、今でも生きているようである。
いずれも、女性に都合良く使われている男のことである。女性にとって、これらの男は本命ではなく、また、本命に昇格することもなく、単なる“都合の良い”男でしかなかった。
なお、念のために断っておくが、当時の女性たちが皆こういうことをしていたわけではないので、そこは誤解しないでいただきたい。こういうことをしていた女性がいて、ある種の“ブーム”であったという(だけの)話だ。

アッシーくん

まず「アッシーくん」は、「足」が語源であり、アッシーくん=車で送り迎えをしてくれる男のことである。当時、携帯電話はまだないが、予め運転手としてキープしている男を呼び出し、タクシー代わりにしていた。
言うまでもないことだが、アッシーくんはタダ働きである。言わば、無料タクシーといったところだろう。

メッシーくん

次に「メッシーくん」は、語源は「めし(飯)」つまり、食事を奢ってくれる男のことである。
想像だが、コンビニ弁当や牛丼やラーメン等ではなく、それなりの“ご馳走”であったと思われる。

ミツグくん

最後に「ミツグくん」は、語源は「貢ぐ」つまり、プレゼントなどを買ってくれる男のことである。主に食事以外の物を買ってくれる男を指して使われていた。

一人が兼任や複数人の場合も

こうした存在は一人の男が兼任する(させられる)場合もあれば、逆に、アッシーくん、メッシーくん、ミツグくんが、それぞれ複数人いるという場合も珍しくなかった。
当時の女性にとっては、何とも景気の良い話だが、それだけ、男性陣にも(主に経済的な)余裕があったということでもあろう。

ここから障害者の生活支援を考える

ここで、いきなり真面目な話になる。
障害者の生活支援を考えた場合、その障害者にとって必要なのは、アッシーくん、メッシーくん、ミツグくんなのではないだろうか?

人的資源としての「アッシーくん」「メッシーくん」「ミツグくん」

アッシーくんは、外出を支援してくれる人、移動手段を提供してくれる人、具体的には、ガイドヘルパーである。
メッシーくんは、食事を提供してくれる人、具体的には、調理や食事の介助をしてくれるホームヘルパーである。
ミツグくんは、生活に必要な物を買ってきてくれる人(ヘルパー)、あるいは、物を買うために必要な経済的援助をしてくれる人までを含めて考えると、買い物を支援してくれるヘルパーだけではなく、家族等の扶養義務者の存在をも含めて良いだろう。

社会資源としての「アッシーくん」「メッシーくん」「ミツグくん」

そしてこれらは、何も「人」に限定される必要はない。
アッシーくん、つまり外出支援は、ガイドヘルパーという「人」だけではなく、ガイドヘルパーを派遣する公的な制度、公共交通機関の従業員(駅員・乗務員等)による支援や、経済的な事情で外出が困難な障害者に対するタクシーチケットの交付なども含めて、外出にかかる社会資源全般と捉える。
メッシーくんについても、食事の介助や調理の援助にとどまらず、食料を手に入れるために必要な経済的援助の制度までをも含む。
ミツグくんについては、ここではプレゼントを買ってくれる人という意味ではなく、生活に必要な物を買ってきてくれる支援者、それらを買うための経済的援助をしてくれる人たち、さらには、障害のある人たちを経済的に支える社会保障制度(年金制度、生活保護制度)までを含めて考えることができる。

「“普通の暮らし”を支援する」ということ

障害者が障害のない人たちと平等に社会で暮らしていくためには、様々な支援が必要である(場合が多い)。
しかし、障害者は何も特別な生活、贅沢を望んでいるわけではなく、周囲の人たちと同レベルの、普通の生活をすることを希望している。
そして、それが自分の力だけでは得られないから、周囲に援助を求めている。
障害者の生活支援とは、単純化して言えば、こういうことだ。
かつて存在し、今ではその存在すら忘れられ、言葉も死語になってしまったかも知れない「アッシーくん」「メッシーくん」「ミツグくん」も、障害者の生活を支援するための人的資源・社会資源という視点で改めて目直してみると、違った見え方ができるのではないだろうか?
そして、これらを得ることができたとき、障害のない人たちと平等な生活を獲得することが可能となる。
障害者に対して、もちろん「必要に応じて」という前提のもとでの話だが、「アッシーくん」「メッシーくん」「ミツグくん」的な存在をどのように確保し、提供していくのか、という視点で、障害者福祉の政策を考えてみるのも、おもしろいのではないだろうか。