視覚障害は情報障害

視覚障害の本質

視覚障害者にとって最も障害となること、不自由を感じていることは、情報の取得である。このことから、視覚障害は情報障害と言われ、必要とする支援は情報提供である。
これは、視覚障害者の外出を支援する同行援護という制度の基本的な考え方となっている。同行援護については、いずれまとめて書いていくつもりだが、外出支援という説明は、一般的には正しく、しかし、必ずしも正確ではない。(正確には「視覚障害者の外出を公的に保障するための制度」と言うべきだろう)
視覚障害者は、見えないが故に情報が無く、状況が分からないのであって、どこかへ「連れて行ってもらいたい」わけではない。
目の前が安全であることが分かれば歩くことはでき、上りの階段があることが分かれば階段を上ることができる。前に駅員がいることが分かれば、どの列車に乗れば良いかと尋ねることができるし、また、乗り降りに手助けが必要なら、お願いすることもできる。
つまり、目の前に誰がいるのか、どういう状況なのかが分からないのが、視覚障害の本質と言って良い。

クリスマスイルミネーション

このところ、クリスマスイルミネーションが各地で行われている。
明るいことは分かっても、それがどういう状況なのか、どう“美しい”のか、目で見て分からないからこそ、見えている人から伝えてもらわなければ、その良さも知ることができない。
見えている人たちが味わっている楽しさの多くを、視覚障害者は味わうことができないとイメージしていただけると、伝わりやすいかも知れない。

映画やドラマをどう楽しむか?

バリアフリー上映の重要性

映画やテレビドラマにも、同じことが言える。
スクリーンを通して映像が見えるからこそ、場面の移り変わり、誰が誰と話しているのか、誰が何をしているのかを知ることができる。
坂本龍馬が登場する時代劇では、ほぼ必ず、龍馬暗殺のシーンがある。
龍馬を演じる俳優の声が聞こえて、それが中岡慎太郎と話しているシーンに何者かが押し入ってきて、刀を交え、龍馬が斬られて絶命する。
日本史のミステリーであり、犯人が何者なのかには諸説ある。龍馬暗殺の動機を持っていた人はたくさんいた。名探偵コナンがいたとして、犯人を見つけることができるだろうか?
そのシーンについても、画面が見えないと、龍馬と中岡の話し声、刀を交える音、人が倒れる音、走り去る足音が聞こえて終わりである。(倒れたのが龍馬であることすら分からない。予備知識があるから分かるだけだ)
こうした問題に対して、見えない人も見えにくい人も、一緒に映画を楽しもうという取り組みが行われている。一般に「バリアフリー上映」と呼ばれ、副音声と字幕が付いた状態で上映される。
台詞やナレーションとは異なり、場面の移り変わりや登場人物の表情などを言葉(音声)で伝える、台詞やナレーションがメイン(主)であるのに対して、それらを補完する役割であることから、副音声と呼ばれている。テレビドラマの場合、解説放送という名称が用いられているが、やっていることは同じだ。
この、副音声・解説放送があるおかげで、私たち視覚障害者は、見えている人たちとともに、映画やドラマを楽しむことができるようになる。
字幕についても、聴こえない方、聴こえにくい方が、台詞やナレーションを理解するために必要不可欠なものだ。
こうして、副音声や字幕を付けることで、見える人、見えない人、聴こえる人、聴こえない人が、ともに映画やドラマを楽しむことができる。
こうした取り組みは今に始まったことではないが、未だなかなか普及していない。

誰か教えてくれ!

ところで、つい先ほど、以下のような動画を見つけた。
音楽は分かるし、何かストーリーがあることは分かるのだが、どういう場面なのか、さっぱり分からん。
見えない人にも分かるように、誰か解説をつけてもらえないだろうか?

【LINE Xmas 2018】 何百通ぶん、好きです。

Every Little Thing / fragile

ついでに、前から気になっていた以下の動画も。

単位ヤバそうな学生様へ

これらの動画の解説をレポートにまとめて提出して、保険かけときますか?(笑)