正月と言えば“お年玉”!

幼き日の思い出

子どもの頃、正月はとても楽しかった。
いつもと違う非日常的な感じもさることながら、何よりの楽しみは“お年玉”だった。
普段の小遣いとは別の臨時収入。言わばボーナスのようなもので、子どもにとっては大金だった。
何か欲しいものがあれば、そのお年玉で買うことができる。また、毎月もらう小遣いで足りないときのために貯金しておくという道もある。
くれる人によって金額は違うが、だいたい毎年同じ額なので、たくさんくれる大人は大株主だった。

もらう側からあげる側への転車台

学生たちと話していると、高校生ぐらいまではほとんどの人がもらっているようだが、大学に入ってバイトをするようになると、もらえなくなる人もいるようだ。あるいは、弟や妹がいる場合には、(金額は少なくとも)あげる側に回っている人もいるらしい。
卒業して働き始めると、ほとんどの人はもらえなくなり、後は、あげる側になるだけだ。人生のどこかで、まるで転車台のような時期が訪れ、もう元には戻れない。
自分の子どもの数が増えたり、甥や姪が増えていくにつれ、その負担額は増えていく。
人によっては、この負担が重くのしかかってくるかも知れない。

お金の世代間移動

お年玉は親から子へ、祖父母から孫へと、上の世代から下の世代へ金銭が移ることになる。
この流れは、年金制度の真逆の流れとなる。

日本の公的年金制度について簡単に学ぼう!

現在の年金制度は「賦課(ふか)方式」といって、現役世代が納めた保険料を基に年金受給世代に年金を給付する仕組みが採用されている。(学生諸君よ、ここ、試験に出るぞ!)
よく誤解されているが、将来のために貯蓄しておく「積立方式」ではない。(ただし、保険会社などが商品として販売している私的年金は、積立方式となっているので、賦課方式は公的年金の話だから、混同しないように)
積立方式は、貯金箱をイメージしてもらうと分かりやすい。自分専用の貯金箱に毎月いくらかずつ入れていき、それを後から取り崩すというやり方だ。これがなぜまずいのか?とよく質問されるのだが、理由のひとつは、積立方式の場合、長生きすれば底をついてしまう。(だから、民間の保険会社が販売している私的年金は、受け取れる期間が決まっている)
また、物価変動への対応が難しいという課題がある。現在年金を受給している世代が若い頃、今と貨幣価値が違っていた。当時の1万円は今では3万から5万の値打ちになる。もし積立方式であれば、その金額のままになるので、物価が上がると、せっかくがんばって年金を積み立ててきたのに、受け取る段階になると、たったこれだけか?と感じる事態になってしまう。
ちなみに、お年玉をがんばって貯金している子もいるようだが、1年でもらえるお年玉の金額は、学生の1か月のバイト代と変わらないか、それ以下だ。だから、お年玉を積み立てても、子どもの頃は大金ではあるが、大人になってから振り返ると、その金額は、たったこれだけか?と感じる未来が待っている。積立方式の年金と、どこか似ている気がする。

年金制度と少子高齢化

さて、日本の公的年金制度は、賦課方式を採用している。これにより、物価変動にも対応できる(物価が上がれば、保険料も受給額もそれに連動させれば良い)し、積立方式のように貯金箱が底をつく心配は無いので、長生きすれば、その間はずっと受け取ることができる。
こんなメリットがある反面、デメリットもある。それが少子高齢化だ。ある意味、少子高齢化の最大の問題は、この年金問題と言っても良い。
年金を受ける世代(高齢者)が増え、年金を納める世代(若者)が減ることで、納める年金の額が上がり、受け取れる年金の額が減る。それでも間に合わないなら(そして実際今の日本はそうなのだが)、年金の受給開始年齢の引き上げ、年金を受け取れる人を無理矢理減らす。(学生諸君よ、ここも覚えておいた方が良いぞ!)
何とも理不尽なやり方なのだが、そうしなければ、年金制度それ自体が破綻してしまう。
もちろん、これを防ぐための良いやり方があるなら、是非教えて欲しい。私に教えてくれても良いし、財務省に教えてあげて欲しい。それで聞いてもらえなければ、自ら選挙に出て、国民に問うてみて欲しい。

お年玉から年金問題を考えよう

金額は違うとは言え、お年玉と年金、世代間でお金が動くという点では共通している。今お年玉をもらっている人は、将来大人になれば、今お年玉をくれている人たちのために年金を納めることになるのだよ。そして、今年金を納めている人たちは、かつて子どもの頃にお年玉をくれた人たちへの恩返しとして年金を納めているのだよ。
こんなことを言う人は、たぶんいないのだろうけど、せっかくだから、書いておくことにした。