管理組合

ここに記することは、あくまで一般論としてであり、特定の団体に関することは全く含まれていない。したがって、固有名詞を一切明らかにしない。

理事長就任

立候補したわけではないが、管理組合の理事長というのになることになった。まあ、立候補する人は、たぶん誰もいないだろう。
理事長のみならず、理事ですら、希望者はいない。
無給・無報酬な上、定期的な理事会への出席が求められ、いろいろとクレームを言いたい人たちのやり玉にされ、何かあれば、あたかも責任者であるかのような扱いを受ける。
会社役員や経営者と同じように考えている人も少なくないようだが、利益を得ていないことと、やりたくてやっていないこととを、わきまえておく必要がある。

多くの管理組合が抱えている課題

こんな管理組合も、今既にたいへんな局面に来ている。区分所有者・居住者の高齢化、管理費等の滞納、迷惑行為等、現行制度(区分所有法等)が想定していないような現実がある。
例えば、築年数が経過し、建替を要する状態になっていたとしても、区分所有者の5分の4の賛成がなければ建て替えることができない。長屋や小規模なアパートならいざ知らず、何十何百もの家々からなる集合住宅では、それだけの合意形成は至難の業だ。
しかも、築年数が経過している集合住宅は、区分所有者・居住者が高齢化している傾向があり、「わしはこのままでええ。住み慣れたこの家で死なせてくれ」という意見が2割(=5分の1)を超えれば、建て替えの話は進まない。
しかも、(これを書き始めるととても長くなるので説明は略するが)次々とマンションの建設が行われ、人口減少社会の中、住宅は供給超過の状態となっている。建設ラッシュの裏側で、何が起きているのか?
このままでは、朽ちる集合住宅は増えるばかりだ。計画的に再開発をしなければならない。

管理会社という存在

理事長の力なんて無いに等しい

さて、管理組合の理事長なのだから、もっとそういうことをやれと思われるかも知れないが、管理組合の理事長など、ほとんど何の権限も無い。極端な言い方をすれば、総会で決まったことに従って理事会を進め、その決定に従って判子を押すだけだ。総会決議に反することを理事長が行うことは、余程の理由が無ければ許されない。
例えば、ある修繕工事の計画があったとする。その修繕計画が総会に提案され、承認されれば、たとえ納得のゆかない内容であったとしても、進めるしかない。納得できないのは自分の個人的な意見であって、総意ではないからだ。民主的な決定事項と理事長の意見では、民主的な決定事項が優先されるのは当然のことで、それを覆すだけの力は無い。

物事が決まってゆくカラクリ

ただ、ここには、大きなカラクリがあることも附記しておかなければならない。それは、総会ではほぼ全ての議案が通る、ということだ。これまでの経験上、総会で議論があったり反対票があったりしたことはいくらでもあるが、採決で否決されたことは一度も無い。過去の記録を調べても、また他の管理組合の状況を調べても、総会で否決される議案など、ほぼ聞いたことが無い。
修繕工事の実施について、たとえそれが無駄遣いだと気づいている人が一定数いたとしても、総会で決議されてしまえば、理事会はそれに従って工事を進めざるを得ず、理事長はその進捗に併せて、事務的処理を行うしかない。
ここで考えなければならないことがもう一つある。それは、工事をして得をするのは誰か?ということだ。工事業者か?確かにそうだろう。工事を受注すれば儲かるのだから、当たり前だ。
ただ、もっと気をつけるべき存在は、ないだろうか?
多くの管理組合には、管理会社が付いている。この傾向は近年ますます進んでおり、管理会社が入っていない管理組合など、新しいマンションではほぼ皆無なほどである。その管理会社から工事の提案が為されたとしたら…?
管理会社は、管理組合の利益を代理してくれているのか? まあ、建前はそうだろうし、そうでなければならないのだが、さてさて、本音や如何に?

主従逆転ならば君側の奸を疑え

管理組合は素人集団管理会社はプロ集団。ここに、情報の非対称性があり、主たるべき管理組合と、従たるべき管理会社との力関係が逆転していることを常に心得ておく必要がある。
奸臣という言葉がある。主に取り入り、主の従順な臣下であるかのように信じさせ、実は内心では主を裏切っている者のことで、君側の奸とも言われる。主君が直接召し抱えた者であればいざ知らず、予め存在していた者を奸臣と見抜くのは至難の業で、さらにその者が奸臣であることを裏付ける証拠を集め、皆に納得させなければ、奸臣を排除することはできない。
もし管理会社が管理組合や理事長にとっての君側の奸であれば、もはや管理組合は食い物にされるだけではないか!?

所詮、植民地の君主かも知れない?

管理組合の理事長など、管理会社という名の宗主国の支配下にあって、形ばかりの独立国として存在している君主に等しいのではないか?
民主的に運営されているかに見えて、そして実際にルール通りに運営されているわけだが、実のところは、管理会社という名の宗主国に操られている。そんな気がしてならない。
なお、繰り返すが、これはあくまで一般論として、また主観として記しているだけであり、管理組合の名称も管理会社の名称も記していない。そして、おそらく、関係者はこんなページを誰も読んでいないだろう。