某メーリングリスト宛

以下、私が某メーリングリストに配信したものの中から抜粋。

Re: 高市氏「善戦」、安倍氏が猛烈支援 岸田陣営、決選投票へ焦り―自民総裁選

[2021年9月23日(木) 4:26]
高市氏「善戦」、安倍氏が猛烈支援 岸田陣営、決選投票へ焦り―自民総裁選:時事ドットコム
この時事通信報道については、裏読みすれば、「だから反河野票を高市さんに入れないでね」という流れを作ろうとしているんじゃないかという気がしています。
今週末頃までは、党員票も動く可能性があります。メディアにとって、もう一暴れしてくるかも知れません。週明けになると、日程的に議員票が焦点になります。
議員はテレビや新聞だけでなくネットも当然見ていますから、ネットメディアが占めるウエイトが大きくなるでしょう。
なるべくなら綺麗事で高市先生への支持を呼びかけたいところですが、選挙「戦」というだけあって、敵方の票を奪うことも必要になってきます。河野太郎へのネガティブキャンペーンも、同時並行でやっていく必要があるでしょう。(当たり前ですが、暴力的言動を肯定しているつもりは毛頭ありません)
ファミリー企業、天安門バッジ、エネルギー問題など、毎日のようにネガティブな情報が出てきますが、もっとやりましょう。
自民党総裁は、自民党所属議員にとって、次の選挙の顔になるわけです。その選挙の顔がネガティブなら、選挙で不利になります。そんな不利な人を選びますか?ということです。
自分がやりたい政策を実現するためには当選しなければなりません。
そのためには、自分の選挙活動だけをコツコツやっていれば良いわけではなく、選挙区に貼るポスターに誰とツーショットで撮ると当選しやすいか?など考えなければならないわけです。天安門バッジをつけていた人と並びたいでしょうか? 天安門バッジの写真を見た有権者は、河野と映ったポスターを見るたびに、天安門バッジを思い出すでしょう。その隣に並ぶということですから、チャイナの報道官の位置に自分が立つわけです。
自民党の政治家の皆さん、それで良いのですか?ってことです。
(以下略)

麻生太郎氏の評価

[2021年9月23日(木) 4:26]
麻生氏の考えは、イマイチよく分かりません。
(まあ、私如きに簡単に心が読まれるぐらいでは政治家はできないでしょうが…)

総理在任中、リーマンショック時にPB規律を棚上げしたという事実があります。
また、財政破綻しないことを、経済評論家である三橋貴明氏との対談で自ら述べています。 しかし、財務大臣になって以降、主張を逆転させたこと。
麻生氏に対する評価はそれぞれだろうと思います。
国際金融資本や、利己的利益に目がくらんだという考え方もあります。
上記対談を踏まえて三橋貴明氏は今年2月、
において、麻生氏が子息に地盤を譲るに際して財務省を敵に回したくないから、あるいは、上記は野党時代の発言であり、それから長期政権で財務相を続けていることから、国民側の共同体から政府(権力)側の共同体に行ってしまったから、という分析をしています。
「裸の王様」という表現を用いて述べられていますが、仮にこうした分析が一定程度当たっているとすれば、本人の意に反して財政破綻論や緊縮財政派にいる可能性が考えられます。
つまり、麻生氏=財務省ではないということになりますから、麻生批判=財務省批判ではない、という図式になります。財務省内で大臣(麻生氏)vs財務官僚という対立図式ができていて、PB規律を死守させようとする緊縮派は「麻生氏」ではなく「財務官僚」だという分析も可能と思います。
官僚が面従腹背であることは、前川喜平などが暴いていますし、皆様もご承知の通りと思います。

私は麻生氏に会ったこともないし、勝手な推測でしかありませんが、10年前に自身満々に語っていたことを覆すだろうか?という疑問もあるわけです。
麻生氏の財政出動に対する認識は、上記動画の中でも、少なくとも、2012年の時点では、財政出動に積極的であり、麻生氏の財務省に対する認識も触れられています。
その後、所謂「国の借金」について、「将来世代にツケを残すなと言うが、このままデフレが深刻化して、公共投資や設備投資をせずに地盤がボロボロになり、最後は国民が働こうとしたときに働けない国になったものを将来世代に残すことこそが、将来世代にツケを残すことになるのではないか」(要約あり)という三橋貴明氏からの指摘について、麻生氏は何度も深くうなずきながら「それはまったく正しい。今の表現は上手いな」と述べています。
国民は政府に対して債務者ではなく債権者であると述べた上で、「活力ある高齢化社会が実現したら間違いなく世界が見習うよ」と言っています。更に、国土強靱化という用語も使われています。まるで藤井聡教授が話しているような内容です。
経済成長については、成長しないことを前提で成り立っていることを問題視しています。叩かれようと、政府主導で財政出動して、叩かれるのに耐えなくちゃいけない。
耐えられるためには、選挙が強くないとどうしようもない。
これが難しく、バブルの後で成功したのは、ほとんど独裁者。ヒトラーの時も同じだった。そして英雄待望論みたいになる。これは危険だ。
三橋氏が「高橋是清は選挙に勝ってデフレ対策をやり、また選挙に勝ってインフレ対策をやった。」と述べていますが、高橋是清について、二人とも高い評価をしています。

ここまで言える麻生氏が、その後、緊縮派に転じ、「将来世代にツケを残すな」と(従来と真逆なことを)言い始めたのは、カルトに洗脳されでもしない限り、おかしなことです。

以上を踏まえ、麻生太郎=税務省=緊縮派という認識を持つか、麻生太郎vs財務省=緊縮派という図式でとらえなおすか、麻生氏がこの10年で180度意見を変えたかどうかが問題です。
そして、それは、おそらく、麻生氏本人にしか、分かりません。
私はこれまで、財務省=麻生氏という図式の下で、消費増税批判などを行ってきました。その場合の前提としては、麻生氏が国際金融資本に操られているというものでしたが、前提とした構図が違っているのであれば、結論も変わります。

こうした麻生氏の状況は、今回の選挙に少なからず影響する可能性がありますから、注意が要ります。
財務省=麻生氏という構図を前提にすれば、河野太郎を推してくるでしょう。
財務省vs麻生氏という構図を前提にすれば、高市氏を推してくるでしょう。
そして、仮に河野氏を推すということであれば、既にそうしているでしょう。
ということは…

このミステリーは、まだまだ続きます。

消費税を財源とした年金制度改革はキケン!

[2021年9月23日(木) 23:31]
このところ、政治評論家か“サナエオタク”みたいになりつつありますが、本来の専門は福祉政策です。(夏休みももうすぐ終わり、ちょうど総裁選が終われば授業期間になるので、本業に戻ります。)

*以下の内容は、普段の講義ノート等からコピペして編集しています。

河野太郎が提案する年金制度改革は、今の賦課(ふか)方式現役世代が支払う保険料を財源として年金受給世代(=高齢者)に配分する方式)を積立方式、つまり、自分の年金は自分で積み立てろという方式にしようということです。
積立方式は、目の前に貯金箱があって、現役世代の間は、そこに毎月いくらかずつ入れていく。そして、高齢者になって、その貯金箱から毎月いくらか使っていく。そういうやり方です。一見、ちゃんと貯金していた人がたくさん受け取れるから良いように見えますが、「じゃあ、なんで賦課方式になってるの?」ってことを知らなければならないわけです
そうすると、今の年金制度ができた時代は少子化ではなくて、人口も増加していた。そして、経済成長をしていた。物価が上がっていたわけですね。
今年金を受け取っている人たちが若い頃、1万円の値打ちは今と違っていた。当時1万円で買えていた物は、今では3万とか5万とかするわけです。国立大学の学費は年5万とか、信じられないわけですが、物価が上がってきて、今の値段になったというわけです。つまり、物価=物の値段は、常に変動するわけですね。
当時、たとえば毎月1万円ずつ貯金箱に入れていた人がいたとしましょう。今、その貯金箱を開けたとして、「1万円」という額面は同じです。当時1万で買えていたものは、今では3万とか5万とかだと言いましたが、貯金箱から取り出した1万円では買えないですね。じゃあ、どうしよう?ってことになって、若い世代が働いて保険料を納め、それを高齢者が受け取る。その若い人が高齢者になったら、次の若い人に保険料を支払ってもらって、自分はそれを受け取る。こうやって、下の世代が上の世代を支える仕組みを作ってきたわけです。そうすることで、物価変動が起きても、保険料も給付額もそれに連動させれば良いということです。
また、現役世代を退いた後、何年生きるか分かりますか? 貯金箱を開けた場合、何年計画で使うか、決めなければなりません。10年計画で使い始めたら、長生きしちゃった。その後どうやって食っていくの?ってことです。
この点、賦課方式にしておくと、負担してくれる現役世代がいるわけですから、長生きすれば、それだけたくさん受け取ることができるということです。そして、受け取ることができるかどうかは、自分が若い頃に払っていたかどうかで決めましょうということになっています。払うものを払わずにもらうときだけもらうなんてセコいことは許さんよってことです。その上で、払いたくても払えない人たちに対する保障、たとえば学生納付特例を設けているわけですね。
こうやって、世代を超えた繋がりひとつの共同体が構築されているわけです。

年金制度をやめちゃおうって言う人もいますが、今受け取っている人たちは若い頃支払ってきたわけで、つまり、受け取る権利を持っているわけですから、国家として裏切ることになります

また、ここまで話してきたのは公的年金制度の話ですが、もし公的年金制度が無くなれば、民間の保険会社がやっている年金保険に入らなきゃいけなくなります。そうすると、結局、保険料を支払わなければならなくなって、しかも民間保険会社はそこから利益を得ているわけですから、(そりゃそうですよね? 民間企業は儲かるからやってるわけですから、儲かるわけです。)ということは、年金を支払う人が損する可能性があるわけですね。
しかも、民間保険会社は各社の契約に基づきますから、リスクの高い人とか、入れてもらえないかも知れない。年金=高齢者っていうイメージもあるでしょうが、重い障害があって働けない人もいるわけです。こういう人たちに対する障害年金も、年金のひとつです。若い人でも、事故や病気で重い障害を負った場合、20代でも年金受給者になることはあります。これがもし民間保険になると、重い障害のある人たちが受け入れてもらえなくなるかも知れません。

世代や障害の有無を超えた助け合い、支え合い、共同体を基盤とした公的年金制度が必要となるわけです。
既に50年以上続いているのは、その証でもあります。
いざというときに安心して生きていくために、必要な制度です。
年金があるから安心して暮らせるわけです。
年金が無くなれば、高齢や病気で働けない人は収入を得る糧を失います。
生きていくためには、他人の物を奪うしかない。あるいは、飢餓で死んでいくのを待つしかない。そういう社会が良いですか?
年金があるから治安が維持されるわけですが、それだけではなく、年金があるから、それを使って高齢者が物を買ってくれますね。つまり、消費をしてくれるわけです。それで、経済が回っていくということです。みんなが節約したら経済は回らない。物を生産しても売れないわけだから、作らなくなりますよね? そうすると、作る人が要らなくなる。失業したら生きていけない。それは不安だから節約する。更に物が売れなくなる。簡単に言うと、こういうことです。

その点で、消費税の話になるわけです。消費税を上げると、消費を控えるようになります。だから、絶対ダメってことです。売る人も、買う人も、作る人も、会社も、誰も得をしません。増税しても、それだけ売り上げが下がれば、政府の税収も増えません。消費税の税収が増えないばかりか、個人の所得や法人の収益が減るわけですから、結果的に、国家の収益としてみたら、マイナスです
たぶん、この説明で分かると思いますが、財務省の人たちは、分からないみたいです。

年金を消費税でやろうということには、もうひとつ欠点があります。それは、消費税は一般会計に入るということです。
国の会計には、一般会計特別会計とがあります。特別会計とは、使用目的が予め決まっているもの、一般会計はそれ以外です。年金は社会保険という制度の中に入っていて、保険料として支払われます。会社員や公務員の場合、給料から天引きされているので、税金との違いがイマイチ分かってない人も少なくないかも知れませんが、保険料として納められた分は、その目的にしか使えません
ところが、消費税として納められたものは、目的が決まっていませんから、何にでも使えます。「年金のために」と口で言ってても、実際そうなる保障は無いんです。違うことに使ったとしても、違法でも何でもありません。
こういうカラクリを知らない人が多いから、「年金制度改革だ」「税金でやるんだ」「少子高齢化対策で消費税は必要だ」って言われて、「そうなんかなぁ…」ってなっちゃうわけですが、これはとても危険です。
社会保障のレベルが今まで以上になる保障は無いどころか、今まで以下になるかも知れない。「消費税は少子高齢化対策のために集めましたが、国の借金返済に充てます」なんて言われるかも知れませんよ。(っていうか、財務省が本気で言いそうだから怖い…)

以下、産経新聞。

総裁選争点に年金改革浮上 消費税で最低保障の是非 - 産経ニュース