【註】

本記事は、令和2年10月31日付で記したものです。
令和5年3月3日より、「いのうえの餃子」が開店しています。詳しくは【祝・御開店】いのうえの餃子をご覧ください。

出町王将が閉店

世間がハロウィンで盛り上がるかどうか? 大阪市の住民投票がどうなるか? 注目されている最中、京都で大きな出来事があった。「30分皿洗いをすればご飯無料」で知られる出町王将(正式名称は餃子の王将・出町店)が、10月31日をもって閉店することとなり、この日、最後の営業日を迎えた。

出町王将との出会い

京都市上京区、出町枡形商店街に、出町王将はある。近隣には同志社大学や京都大学など数多くの大学があり、多くの学生が暮らしている。その中で、飯代が無い苦学生を対象として、皿洗いをすればお腹いっぱい食べさせてくれる店があった。私は学生時代、この店のすぐ近所で一人暮らしを始めた。初めて一人暮らしをしたマンションは、出町王将から徒歩3分ほど。マンションから大学に通い、どれほど真面目に勉強していたかはともかく、帰り道に出町王将でご飯を食べて帰ることは多かった。休みの日も、家で唯一の自慢料理であるカップラーメンを作るか、出町王将に食べに行くか、というぐらい、私にとって日常生活のひとつであった。週3回は通っていたと思う。自宅の台所よりも、出町王将の厨房に世話になっていた。
例年、年末年始は実家に帰省していたが、大学院の修士論文を書いているときは、その余裕が無かった。そんなときも、出町王将で年越しそばの代わりにラーメンを食べた。
一人暮らしを始めると、実家での窮屈さから自由になれた開放感に満たされる一方で、寂しさが訪れるのは、多かれ少なかれ、誰でも同じだろう。自分の自由を制約する存在である親や教師は、時としてうっとうしいが、いざその呪縛から解き放たれると、「自由」「独立」「自立」などの憧れたキーワードも空疎でしかなくなる。人の感情って、きっとこんなワガママなものなんだろうなと思う。
そんな若かりし学生時代、これを人は青春時代とでも表するのかも知れないが、そうであるならば青春時代としてもかまわない。この限られた時間のうち、かなりの部分を、私は出町王将で過ごしたことになる。
出町王将はフランチャイズ店で、直営店とは大きく異なる。井上店長の独自色が非常に強く、「めし代の無い学生は30分皿洗いでお腹いっぱい食べさせてあげます」というのも、井上店長のオリジナルだ。
私が初めて出町王将に行った時、「学生さん?」と聞かれた。「はい」と答えると、次回使える30円引きの券を手渡してくれた。次に行った時、レジでその券を手渡すと、30円引きしてくれた上で、またその券を返してくれた。こんなやりとりが何回か続き、常に割引券は私の財布に入っていたが、やがて券を出さなくても30円割引してくれる“顔パス”になっていた。この時、既に私は常連客の仲間入りを果たせていたのかも知れない。

「京都でのお父さん」井上店長

大学、大学院を経て、11年間を京都で過ごした。京都は私にとって“第二のふるさと”と呼べる場所だ。昔の下宿屋と違い、学生マンションでは、親代わりになって世話をしてくれる人はいない。そんな中、出町王将に行けば、いつも優しく迎え入れてくれたのが井上店長だった。
いつの間にか、出町王将は、食事をするだけの場所ではなく、いつでも遊びに行ける場所、そして、何か困ったことや悩み事があれば相談できる場所となっていた。学生時代から今に至るまで、私がどういう問題で悩み、どういうことで嬉しい気持ちになったか、井上店長はそのほとんどを知っている。それは、私が井上店長に事細かに話していたからだ。そして、その都度、いろいろとアドバイスをもらったり、励ましてもらったりしていた。

出町王将に行くために京都に行く!

京都を離れ大阪に移ったが、週1日だけ京都産業大学の授業があり、その帰りには、ほぼいつも、出町王将で夕食を取って帰るのが日常になっていた。「仕事のついでに食べに来た」のか「食べに来たついでに仕事をしに来た」のか、時々自分でも分からなくなることがあるぐらいだった。京都産業大学の授業は、当初は金曜5限目(16時45分〜18時15分)だったが、この時間に設定した(時間割の希望を出した)理由のひとつが、「帰りに出町王将でご飯を食べたいから」だった。もちろん、大学にこんなことを言えるわけもないし、これを公言するのはここが初めてだ。京都産業大学の授業は、平成30年度からは木曜日に変わった。その理由のひとつが「出町王将の木曜の日替わりが好きだから」だなんて、さすがに大学や学生に怒られそうだが、ホントのこと。出町王将の日替わりメニューは曜日ごとに決まっていて、木曜は“鶏の味噌炒め”だった。他の曜日もメニューが決まっているが、通い詰めている間に変更になったものが多い。私の記憶が確かなら、火曜日は“ニンニクの芽の炒め物”だったが、いつの間にか“味噌ホルモン”になっていた。定食から外れたとは言え、“ニンニクの芽の炒め物”はメニューとして残った。曜日に指定されているメニューがお買い得になるだけで、いつでも食べることはできる。木曜の“鶏の味噌炒め”は、その指定席の座を降りることはなく、最後まで現役だった。定食を注文して餃子を頼むと、餃子が割安になるというのも、出町王将のおもしろいところ。また、定食を注文するとご飯の量を選ぶことができるが、金額は同じ。私はいつも大盛りを注文し、まんが日本昔ばなしに登場するような山盛りご飯が出てくる。鶏の味噌炒めと餃子と大盛りご飯。これがまた、とても良くあう。

憩いの場

全席カウンターで細長い出町王将。店がすいている時間は、店長と一緒に店の奥にあるテレビを見ることもあった。カウンターにはたくわんが置いてあって、食べ放題。これがまた、ご飯に良くあう。ますます食事が進む。唐揚げをおまけで出してくれることもあれば、スープのおかわりを入れてくれるときもあった。寒い日のスープおかわりは、とてもありがたかった。昼間に行くと、コーヒーを入れてくれることもあった。もちろん、店頭メニューにはない。店長はじめ店の人が休憩時に飲むためのインスタントコーヒーをサービスしてくれた。インスタントコーヒーに砂糖を入れてくれるが、かき混ぜるのはレンゲ。さすがは中華料理店!
なるべくすいている時間帯に店に行き、井上店長といろいろ語り合うのが、楽しみのひとつだった。人生相談のようなことから、仕事のこと、株のことなど、常に親身になって相談に乗ってくれて、アドバイスもしてくれた。おかげで株で儲けさせてもらうことができたが、「早う売らんか!」と叱られることもあった。実際、井上店長のアドバイス通りに売っていたら、もっと儲かっていた。

井上店長から学んだこと

井上店長と私とは、飲食店と学校とで、職業こそ違えど、人を相手にする仕事である点は一緒だ。だから、井上店長から学んだことは、直に教えてもらったことだけではない。「人を大切にすること」を教わった気がする。学生を大切に思うからこそ、「めし代の無い学生は30分皿洗いでお腹いっぱい食べさせてあげます」なんてことができるのだと思う。教員として学生に接していて、私はまだまだ、井上店長ほど寛大ではないと思う。ただ、自分の授業を聴いてくれている学生に親身に向き合おうという姿勢で仕事ができているのは、出町王将に来た私たちに親身に向き合い大切にしてくれた井上店長の姿勢を真似ているように思う。さすがに、30分皿洗いをしたら単位をあげるというわけにはいかないが、これからも、井上店長から学んだ「人に向き合う姿勢」を模範として、仕事をしていきたい。

出町王将からの生まれたご縁

最近は、大学院時代の後輩にあたるYを出町王将に呼び出して、仕事の打ち合わせと称して会食することが多くなっていた。視覚障害者の外出を支援する同行援護という制度があり、一般的に「ガイドヘルプ」と呼ばれているが、そのヘルパーを養成するための研修会(→同行援護従業者養成研修)のチラシを持って行くと、井上店長がチラシを店に置いてくれた。そして、そのチラシを見て、研修を受けに来てくれた人がいた。出町王将がつないでくれたご縁は、本当にたくさんあった。

最後の晩餐

最後の営業日となった10月31日(土)、私は夕方まで大阪で仕事があったが、夜にサプライズのゲリラ上洛を果たし、後輩のYと一緒に出町王将へ向かった。「きっと混んでいるだろうな」「店に入れるかな?」「食べ物は残っているかな?」と、いろいろ不安もあったが、何も無いなら無いでいい、とにかく、井上店長に挨拶できればそれで良いわと思って、出町王将へ向かった。入り口には人が並んでいたが、何とか店に入ることができた。店内は満員だったが、“鶏の味噌炒め”も餃子も、食べることができた。出町王将でいただく最後の夕食を“最後の晩餐”とばかり堪能することができた。ただ、店内はとても混雑していたので、井上店長に挨拶できるだろうか?との不安はぬぐい去れなかった。食事を終えてレジに向かうと、ちょうど井上店長がレジにおられたので、最後の会計をしていただいて、挨拶をすることができた。握手をして、帰ってきた。

ありがとう!出町王将

学生時代からの長い思い出。多くの学生にとって思い出の場所。出町王将の閉店は、その思い出の場所がひとつ失われたことを意味する。
出町王将から出町柳駅に向かうとき、賀茂大橋を渡る。賀茂大橋では、修繕工事が行われていた。出町王将の閉店と加茂大橋の修繕。出町界隈は、大きな時代の転換点にさしかかっているのを感じた。
時代の流れとともに、変化することはたくさんある。変化することは良いことか?悪いことか?と問われるが、どちらでもあり、どちらでもない。始まりがあれば終わりもある。出会いがあれば別れもある。既に修繕された加茂大橋の南側歩道を渡りながら、眼下の鴨川を眺めた。暗くて見えないが、川の流れる音は聞こえる。
京都産業大学の授業がオンラインで行われているため、久しぶりに訪れた京都だが、加茂大橋は今までに増して明るい。街灯の明かりが変わったからだろうか? それとも、満月の影響だろうか?
「ありがとう!出町王将」「ありがとう!井上店長」という思いとともに、京阪特急は大阪へ向かう。
「餃子の王将はぎょうさんある。でも、出町王将はここにしかない」
もし取材を受けるようなことがあれば、こうコメントするつもりだったが、受けなかったのでここに書くことにした。